ジョン・ケージの目指した芸術について:後編

今回は、前回の前編に引き続き、大阪芸術大学通信教育部音楽学科『20世紀の音楽』の課題レポート『ジョン・ケージの目指した芸術について』に記載した内容の後編となります。

作風およびその根底にあるもの②

『偶然性の音楽』とは

演奏ないし聴取の過程に偶然性が関与し、異なる音響結果が作り出されるようになっている音楽が『不確定性の音楽』と定義されている。8)

一方、作曲過程のみに偶然性が関与する場合は作曲の結果は確定的に記譜されることになり、その演奏結果も固定される。従ってこの種のものは不確定性の音楽ではなく、厳密には『チャンス・オペレーション』と呼んで区別されている。8)

そして、チャンス・オペレーションと不確定性の音楽とを合わせたもの(上位概念)が『偶然性の音楽』と定義されている。8)

ただし、純粋なチャンス・オペレーションの作品は数が少なく、ほとんどの偶然性の音楽は不確定性の音楽であるため、『偶然性の音楽』『不確定性の音楽』をほぼ同義に使用する場合もある8)ことも、混乱を避けるためここに付記して置く。

ケージの考える『偶然性』の意味

日常生活の中で、我々は様々なモノやコトと出会う。感動する音楽や本、人との出会いなどなど、人生はそういった偶然の積み重ねと言っても過言ではないであろう。そして、その中のいくつかがその人の人生にとって意味深いものとなるのである。私自身の人生経験でも、そういったモノや人との出会いがいくつもあったと実感している。

上述したように宗教に高い関心を寄せていたケージが、その意味深いモノと出会う偶然を神の啓示と捉えていたであろうことは想像に難くない。

そして、そういった偶然を音楽のなかで体験しようとする試み、あるいは神の啓示にしたがって音を紡ぐことの意味深さを示そうとしたのが、ケージの目指した『偶然性の音楽』なのではないかと考える。

易の音楽

1951年に作曲された『易の音楽』は、全体的に偶然性を用いた初めての器楽作品と言われている。9)易経の占術を参考に、あらかじめ決められた64種のチャート(音素材)から6枚のコインを投げることにより選んでゆく手法で作曲された。

易経とは、万物の真理を紐解いた経典なので、易経は占術書であり思想書であり哲学書とも言える奥が深い書物と言われている。10)また、物事が起こる微かな兆しを示し、いかにすれば禍を避け得るかが、さらには、物事を見事に仕上げていく方法も書いてある、処世の智慧に満ち満ちた実用書とも言われている。11)そして、易学者の加藤大岳氏の言葉を借りると、統計を用いて必然性を立証するのが科学であり、神性を用いて偶然性を追求するのが易とも言われている。10)

表向きは易経の占術の形式だけを模倣したとも受け取れるが、ケージは上述した様な易経の持つ奥深さを理解し、芸術家が自我を表現するのではなく、神の啓示を感じながら作品を創るという芸術の在り方を可能にする方法2)として取り入れたものと考える。

言い換えれば、彼は作曲者の意図よりも、万物の真理に基づく神の啓示から示されるモノにより奥深いモノが生まれると考えていたと推察する。

なお、本作品は楽譜の序文で、「表記が不合理なところが多いので、そのような場合は演奏者が自分の判断で行ってください」とケージが述べている9)様に、作曲の過程のみならず、演奏者にも自由を与えているゆえ、『偶然性の音楽』と捉えられている。

4分33秒

1952年に作曲されたケージの作品で最も有名なもののひとつである『4分33秒』は、曲の演奏時間である4分33秒の間、演奏者が全く楽器を弾かず最後まで沈黙を通すものである。12)

聴衆は、『4分33秒』の間、その空間で発せられる『音』(観客のざわめきや足音、物音、自身の心臓の音、等々)を鑑賞するのである。その音楽は、演奏の場所や日時により、異なる音がその場で偶然性を伴って作曲される『チャンス・オペレーション』であり、演奏ないし聴取の過程に偶然性が関与する『不確定性の音楽』であり、『偶然性の音楽』である。

また人々の生活空間を取り巻く音が、作曲された音楽の響きに劣らない価値を持っていることを示すデモンストレーションだった1)とも指摘されるように、前編でお話ししたノイズの芸術の考えをも組み合わせたケージの目指した芸術のひとつの完成形だったのではないかと考える。

ケージの目指した芸術

ケージの人物像および作風の考察を通して見えて来た、ケージが目指したものは、万物の真理に基づく神の啓示を芸術として表現することであったと考える。

さらに、芸術(音楽)の本質は、芸術家(作曲者)が書いたモノの中に存在するのではなく、受容者(聴く人)によって作られるという理念2)もケージ自身が語っており、その人にとっての芸術は、その人自身が判断するという、押し付けではない思想もその根本にあったものと推察する。裏を返せば、自身の創作する音楽は、あくまでも自身が芸術と考えるモノを追求するべきであり、そこに価値があると語りかけているとも感じた。

ケージが活動した時代は、19世紀まで西洋音楽の世界を席巻していた和声等の規律に則った音楽から脱皮し、新しい音楽を生み出す試みを多くの音楽家たちが模索した時代であった。そういった革新的な音楽を受け入れる土壌があった時代に生まれたことは、ケージにとっても音楽界にとっても幸運であったとも考える。実は、そういった時代の流れにケージが存在していたこともまた、ケージの思想に則れば、神の啓示であったのかもしれない。

おわりに

私が、ジョン・ケージの名前を知ったのは、『4分33秒』の存在を知った時であった。当初は、確かに今までにない作品ではあるが、なぜこれほどまでに語り継がれているのか理解することができなかった。

しかしながら、いくつかの彼に関する書籍を読み、彼の思想やそこに至る背景を知るにつれ、この作品は奇をてらったわけではなく、一本筋の通った思想の上で制作された今までにないものであり、かつその思想を多くの人が受け入れたからであるとの考えに至った。

同時に、あくまでも自身の感性を信じ切ることが芸術を創作する上では必要であることをケージは語りかけているとも感じた。

本レポートを書き終えて、今後も今まで同様、自身の信念や感性に基づいた楽曲を創作し演奏してゆく想いを強くした次第である。

以上までが、レポートの全編です。
いかがでしたでしょうか?
このブログをキッカケに、ジョンケージ氏についてご興味を持たれる方がいらっしゃれば、幸いです。
ということで、今日はこのへんで。
最後までご覧いただきありがとうございました。
MASA
参考文献
1) ポールグリフィス著、堀内宏公訳、ジョン・ケージの音楽、青土社(2003)
2) 白石美雪、ジョン・ケージ ~混沌ではなくアナーキー~、武蔵野美術大学出版局(2009)
3) https://www.youtube.com/watch?v=IlRWhT4Lnp8 (2021/8/29)
4) ケネス・シルヴァーマン著、柿沼敏江訳、ジョン・ケージ伝~新たな挑戦の軌跡~、論創社/水声社(2015)
5)https://business.nikkei.com/atcl/skillup/15/111700008/061300072/ (2021/9/23)
6) 高橋浩子他、西洋音楽の歴史、東京書籍(1996
7)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8 (2021/9/18
8)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E6%80%A7%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD (2021/9/22)
9) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%93%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD (2021/9/22)
10) https://1percent-better.com/oriental_wisdom/iching/explanation/what-is-i-ching/ (2021/9/21)
11) https://www.aki-ta.com/eki/index.html (2021/9/20
12)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8  (2021/9/22)

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