今回は、大学での『アートプランニング』の講義から学んだことをお話しします。
なお、ここで記載することは、講義の内容説明ではありません。
講義を受けた上で、私が咀嚼して理解し、シンガーソングライターとしての音楽活動にとって有用となるであろうことの記述となりますゆえ、そのあたりはご了承いただいた上で読み進めていただければと思います。
講義概要
一言で表すならば
『自身が創作した表現(芸術)を社会に着地させる力を付けるため』の講義でした。
極私的な営みが芸術であり、それをどう射会(鑑賞者)に届けるかを考え、プランニングしてゆくという内容で、芸術家が比較的苦手とする分野だと思います。
実際には、キュレーター(展覧会などの芸術イベントの企画立案、資金集め、人集め、スケジュール管理等、全体を統括し推進してゆく人)がこういったプランニングをしてゆくケースが多いそうですが、セルフプロデュースが必要なインディーズ・アーティストには必要なことかと思います。
アートとは?
そもそもアートって何ぞや?って話なのですが、ここでは、以下をアートと定義してお話を進めます。
楽曲創作に当てはめてみると、作者が自分の中に潜り、想いを炙り出してそれを言語化することにより作者自身が新たな気付きを得る、そして、それを聴いた鑑賞者にも新たな気付きを与える。さらに、鑑賞者の反応から作者自身もまた新たな気付きを得られるような楽曲、作者と鑑賞者の共有共感共鳴共振を促す楽曲がアートであると私自身は理解しております。
歌唱や演奏の場合も、上の記述の『楽曲』を『歌唱』『演奏』に置き換えて考えていただければよいと思います。
作者として一番大事なコト
アートと呼べるモノを生み出すために、作者として一番大事なことは、自分をさらけ出す勇気を持つことだと思っています。
音楽活動をしていると自身がライブするだけではなく、様々なインディーズ・アーティストのライブを視聴する機会が多くなるのですが、歌も演奏もすごく上手いのに全くと言っていいほど心に響いて来ない方が少なからずおられます。
そういう人って、有名アーティストの真似っこパフォーマンスをしているだけだったり、流行り歌の切り貼りみたいなオリジナル曲を歌っていることが非常に多いのです。
つまり、その人自身が、楽曲やステージを通して見えてこないのです。
結局、自分をさらけ出してない、カッコつけていて身の丈に合ってないから、共有も共感もできず、響いても来ないのだと思っています。
逆に、歌や演奏がそうでもないのに、めっちゃ響いて来る方もこれまた少なからずいらっしゃるのですよね。
そういった方ってやっぱり、素直に自分を表現している、カッコ悪い自分もちゃんと受け入れて、自分はこんなんですよ~ってさらけ出しているんですよね。
教官が力説されていた『自分に嘘をついても響くモノはできない。』とは、こういうことだと私は解釈しております。
まあ、確かに自分をさらけ出すって、ものすごく勇気が要りますよね。
何言われるか、何思われるか、わかんないですものねえ~(-ω-)ウーン
でもそれをやらないとアートな作品は生まれて来ないとも感じております。
これに関して私自身の経験談を以降で少し語らせていただきます。
自分をさらけ出す勇気(経験談)
ソロで活動を始めて、人前で最初に歌ったオリジナル曲は『片想い』(視聴はこちら)なのですが、歌う前は本当に怖かったですね~(^-^;
ご視聴いただけるとわかると思うのですが、その当時すでにいい年のオッサンだった私が10代の恋愛をテーマにした歌を、ステージ上でひとり、アコギで弾き語るわけです。
おまけに会場を見渡すとお客さんは(私以外のアーティストを観に来ていた)10代20代の若い人ばかり・・・・。
想像しただけでも恐ろしいシチュエーションではないですか(・_・;)
でも、セットリストを現場で急遽変えられるほど器用じゃないし、そもそもレパートリーが当時はそんなになかったので、もうエイヤーと清水の舞台から飛び降りる想いで、とにかく懸命に歌いました。
アウトロのアコギとブルースハープの余韻が響き終わった瞬間、会場がシーンと静まり返り・・・・
(ああ、やっぱり引かれたか・・・、やっちまったなあ・・・・(T_T))
からの・・・・・
大喝采~~♪
(ええええええ~~~Σ(・ω・ノ)ノ!)
会場の中で一番驚いてたのは、間違いなく歌った本人の私だったと思います(笑)
ライブ後には、観てくださった方々から『良かった。』『感動した。』等のお褒めの言葉をたくさんいただきました。
これは本当にうれしかったな~ヽ(^o^)丿
と同時に、私は次のように思いました。
『どんな形にせよ、自身の想いを素直に表現したモノはキチンと受け取ってくださる方が居るのだなあ。』と。
もちろん、お客さんの中には引いていた人もいたでしょう。まあ知らんけど・・・(笑)
でも、万人に受け入れられるモノって、音楽に限らずそもそも世の中には存在しないと思うのです。
少数だろうとそうやって受け入れてくださる方がいる限り、それはアートとして成立しているとも思うのです。
ですから、アーティストを名乗るならば、自分をさらけ出す勇気を持つことが必須であると、このような自身の体験からも実感する次第です。
別の見方をすれば、そういう勇気を持ち、自身の内にある想いを、心を開いて表現したからこそ、鑑賞者も心を開いて想いを受け取り、心を動かしてくれたのではないかとも考えております。
さて、長くなりましたので、本日はこれぐらいにして続きはまた次回に
最後までご覧いただきありがとうございました。
それでは、また。
MASA
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